子どもが不登校に。学校に無理にでも連れて行った方がいい?

GWも終わりに近づいてきました。
うちの次男は「このままお休みが続くといいなあ」と言っています。
その反応は子どもあるあるだと思うのですが、なぜそう思っているかという理由は少しみんなとは違うかもしれません。
「昼間に出歩いていてもおかしいと思われないから」というのが次男の考える理由です。

実はうちの次男は不登校なのです…。
学校に行けなくなってだいぶ長くなりました。
息子が不登校になって、戸惑いながらも改めて考えた学校の意義について書いてみたいと思います。

不登校になったきっかけは?

明るく元気でスポーツの大好きな子。
こんな風に周りからは見られていましたし、それも次男の姿であることは間違いありません。
学校生活で何か困っているようにも見えませんでした。

だから正直戸惑いました。
私は仕事にも行かなくてはいけないので、息子が学校に行ってくれないと困ると思ったのも本心です。
ただ、登校準備をした後、ベッドに戻ってしまった次男の姿は学校に行こうとすると動かなくなるという身体からの明確な意思表示でした。
本人は「本当は行きたい」と言っていましたけれど、無理矢理連れていくということはできませんでした。

「ちょっと疲れちゃったんだよね」「しばらくお母さんと一緒に過ごしたら行けるようになるよ」と周りには言われましたが、その後、次男は学校に戻ることはできていません。
私自身も周りの人も理由探しをしようとしましたが、明確な理由があるとは限らないのですよね…。
そして、学校に行けなくなった時点というのはすでに限界を超えていたということなのだと思います。
いじめなどのように明確な理由があれば行かなくていいけれど、なんとなくであれば連れていくべきだなどという意見を聞くこともあります。
ただ、小さな辛さの積み重ねによって、ある時コップから水が溢れ出るように限界を迎えたように感じました。
だから今でも「これ」という明確な原因が絞れているわけではありません。

改めて考えた学校という場所の意義

次男が学校に行けなくなって、人が「学ぶ」ってどういうことだろう?どうやればこの子の学びを支えてあげられるだろう?と色々考えました。
そして改めて思ったのは、学校ってとてもうまくできているんだなということです。
様々な学習を体系立てて効率よくできるように組み立てられています。
いわゆる教科の学習だけでなく、人間関係、生活に関わることなど様々な経験ができるようになっています。
同じことを家庭だけで用意しようとすると、とてもではないですがカバーできないですし、お金もどれだけかかるのかわかりません。
だから、学校でいろんな経験をしながら学びを進められるというのは、本当によくできたシステムなのだなと思うのです。

では、学校に通えなかったらお先真っ暗なのかというとそうとも思いません。
学校で学ぶのと少し道は異なるかもしれないけれど、学ぶ道は無数にあると思います。
ただ、それを子ども自身が見つけ出してくるのは難しいので、周りの大人たちがどれだけ提案できるのか、支えてあげられるのか、興味を示して来なくても諦めずに次の提案ができるのか、そんなことが問われているなと思っています。

学校以外でも学べるの?

次男は適応指導教室に行ってみたり、放課後に学校に行ってみたり、家でインターネットを用いた学習をしてみたり、できる範囲でいろんな挑戦をしています。
勉強だけでなく、習い事や家事などに取り組むこともあります。
地域にもよると思うのですが、いろんな特色のあるフリースクールもたくさんあるので、うまく合う場が見つかればもっと学びは進みやすくなると思います。
ただ、うちの子の場合は小学生だったのもありますし、1人で知らない場に入っていくという不安がとても大きいので、なかなかそのような場を探すのには難航しています。
そのため、どうしても家にこもりがちになるのですが、できるだけ家族以外の人との触れ合いの場を確保することも今後、社会の中で生きていくという上では大切なことだと考えています。

このような日常の積み重ねの中での経験は、学校での学びと重なるものもあれば、重ならないものもあるでしょう。
年齢相当の内容もあれば、学校に通っている小学生はまだあまりやっていないということもあるかもしれません。
例えばうちの子の場合は1人で昼食を食べなくてはいけないことも多かったので、比較的早い段階で電子レンジなどを使って昼食の準備をするようになりました。
みんなが授業を受けていることとは少し違うかもしれないけれど、このような生活面でのニーズを満たすためにはどうすれば良いのかということを身につけていくのはとても大切な学びだと思います。
欲を言えば、そのような過程で経験することが教科内容と結びついて整理できると良いなとも考えて、色々説明してしまったりもしますが、これは欲張りすぎかもしれません。
人が生きていればあらゆる場面が学習の場であって、それに気づくかどうか、生かせるかどうかは本人次第なんだと次男によって改めて気付かされました。

正直なところ、出口は見えませんし、同じ学年のみんなの姿を見ると、私は今でも凹んでしまうことがあります。
でも、「きっとなんとかなるよ」と思っているのも強がりではなく、本心なのです。
そんな両方の気持ちを行ったり来たりしながら過ごしています。
学校に毎日通ってお友達と共に過ごす。
それができるのは、当たり前のようで当たり前ではない幸せなのだと思います。
だからこそ、それが叶わない時にどう支えられるか、答えは出ないけれどいつも考えています。

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